大崎市議会議員・木村和彦(きむらかずひこ)

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プロフィール

古川北中学校時代

中学校進学と統合中学校

中学 1 年生のとき長岡中・清滝中・宮沢中・富永中の 4 校が統合、「古川北中学校」と改称され、私達がその第 1 回の入学生となった。新校舎はまだ出来ておらず、 4 校それぞれが古川北中の分教場ということでスタートしたので、環境が小学校から中学校になったこと以外は何も変わらず、生徒も長岡小学校から同じであるため大きな変化を感じることはなかった。
しかし、 2 年の終わり頃新校舎が完成し、私が 3 年生に上がった 1 学期から新校舎に入ることとなった。このときにはじめて古川北中の生徒が一堂に会することとなり、出身地区同士でのもめごとが多少あったように思える。
私が「イジメ」に遭い先生に相談し悩みを解決していただいた事があったのもこの頃で、先生を信じ、すべてを打ち明け、本音で語り合えたのが解決につながったものと思っており、このときの先生のご指導に深く感謝している。
今も私は常に本音で話し合うことを続けているし、それを大事にしたいと思っている。蛇足!皮肉にも私の成績で一番悪かった教科の受け持ちがこの先生だったのです。

ブラスとの出合い

1 年生からブラスバンド部に入った。楽器が入ったのはその年の卒業間近のころで、卒業式にギリギリ間に合わせた感があり、曲目も入場用の行進曲と新校歌を演奏するため、 2 ヶ間全員が初めて手にする楽器との格闘が始った。私は真新しいトランペットで張り切って練習した記憶がある。
ブラスに入った動機は「ブラスバンドは花形だから目立つ!」という不純な動機からであったのだが、実際入ってみれば、野球部の相手ではなかった。
3年生のとき、「花形」を感じたのが、古川地区中体連の開会式のファンファーレ吹奏だ。古中の 1 名と北中の私との 2 名でトランペットファンファーレを奏する機会を与えられた。(これはカッコイイと当時は思っていたのだ)
この後ブラスバンドとの付き合いは高校、大学、今日まで長々と続くことになる。

悔しい思い

3 年生のときに大阪万博が開催された。日本は当時高度成長の波の真っ只中に有って、その先端技術が取り入れられた夢のある万博であったが、高校受験を目の前にして見に行くことができずに本当に残念な思いが残った。
また、生徒会長選挙に立候補したのだが、候補者の中に手ごわい女性候補者がいた。この女性候補者に負けたくなくて夢中で演説をしたものだ。しかし結果はこの女性に会長を奪われ、結果として副会長となり悔しい思いをしたことがあった。最近ある人から「当時の有弁さは、やっぱり議員(政治家?)の素質があったのだなぁ〜」と言われたが、私は当時女性の立候補者に負けたくないだけだった。その分有弁になったのだろうと思う。

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